新しいノート
イタリア生活&自分らしいライフスタイルを築くための記録
イタリア

海外移住から帰国後感じた葛藤と逆カルチャーショックに向き合う

フィレンツェ(イタリア、トスカーナ州)のパノラマ

中学生の頃から海外生活に憧れ、初めて海外に飛び出したのは学生時代。

1年弱の留学を経験して、その後はヨーロッパを中心にさまざまな国を訪れました。

そしてイタリアに留学、現地で仕事を見つけて十数年滞在、その後帰国。

帰国後は想像できなかった困難に直面、日本にいるのに外国人になったような感覚に襲われました。

イタリアに滞在するための手続きや本帰国する際の手続きの概略と、帰国後に一体自分は何者なんだろう?と葛藤したことや「逆カルチャーショック」の経験、そこから解放されるために考えたことなど、体験談を綴ります。

イタリア生活には滞在許可証が必須

外国人は何年住んでも「滞在許可証」が必要

イタリア語で外国人は straniero/a (男性1人ならストラニエーロ、女性1人ならストラニエーラ)。

イタリアに90日以上滞在するには、渡航目的に沿ったビザを日本国内のイタリア大使館又は領事館で申請して、イタリア入国後8日以内に滞在許可証 (Il permesso di soggiorno) を申請します。

私は留学ビザで入国し、現地で滞在許可証を延長、数年後就労目的の滞在許可証に切り替えて更新を重ねました。

長く住んでいると、それなりにイタリア生活に順応して、普段は自分が外国人であることをそれほど意識しなくなりました。

それでも数年に一度この滞在許可証を延長する時期が来る度に、何年住んでも自分は「外国人」だということを痛切に実感しました。

「国籍」について

海外では、日本で暮らしていた頃は意識することもなかった「国籍」を問われる機会は少なくありません。

イタリア語では、 nazionalità (ナツォナリタ)です。

法務省によると、国籍とは、人が特定の国の構成員であるための資格をいいます。

日本は二重国籍が認められていないので、日本に国籍がある以上、外国の国籍は取得できません。

どんなに長くイタリアに住んだとしても、自らイタリア国籍を選択して、日本国籍を放棄しない限りはずっと滞在許可証が必要です。

一方、国籍のある日本で暮らすには、許可は必要ありません。

一時帰国の際に、入国審査でパスポートを見せると、審査官に「おかえりなさい。」と声をかけてもらったことが何度かあり、「帰ってきたんだ!」とほっこりしたことを覚えています。

普段は意識しなくても、日本に帰る場所があることを再認識する瞬間でした。

イタリアから日本へ本帰国するための手続き

イタリアに移住する際に苦労して手続きした時と比べると、日本に本帰国する際の手続きは至ってシンプル。

居住する市町村など地方自治体に「転入届」を提出(原則帰国後14日以内)します。

私は移住時に市役所に「海外転出届」を出して、住民票を抜いていたので、「転入届」を提出しました。

これだけで、住民票が復活します。

日本でカルチャーショックを受ける

帰国後の日本で感じた戸惑いやストレス

こうして日本での生活が再スタート。

最初は一時帰国の延長のような感覚でしたが、しばらくして、日本の生活に馴染めていないことに気づきました。

違和感というかストレスというか、どこか息苦しくモヤモヤするのです。

まるで浦島太郎になったようにも感じました。

母国日本にいるのに、海外で経験したカルチャーショックに似たような戸惑いも覚えました。

学生時代の留学やイタリア生活当初は、当たり前のようにカルチャーショックを受けました。

それを乗り越えて、日常的にさまざまな国の人と接して、多種多様な習慣や考え方に触れてきて、それなりの免疫があるはずなのになぜこんなにも息苦しくてストレスを感じるのか?

もしかしたら、母国である日本だからこそ、海外で受けるカルチャーショックとはなにかが違うのかもしれません。

逆カルチャーショックの洗礼

息苦しさの原因を探るうちに、自分は「逆カルチャーショック」を受けているのだと気づかされました。

逆カルチャーショックとは、異文化圏で一定期間生活して、母国の文化や環境に強い違和感やストレスを感じる現象です。

十数年という短くない期間、日本を離れ、イタリアで暮らした年月。

その間も時間は常に流れています。

イタリアで生活する中で、現地の文化や、習慣、環境に馴染むために自分自身が変わっているし、イタリアに発つ前と後では、日本の社会も時と共に変化しています。

同じ自分が元と同じ場所に戻ったわけではないのです。

そこにギャップが生まれているのだと気づきました。

海外に住む日本人は外国人に近い?!

日本の生活に合わせようとすればするほど、周りに合わせようとすればするほど、窮屈さを感じました。

ふと思い出したことがあります。

イタリアでコーディネイターをしていた時に、日本人のクライアントさんから「現地コーディネイターさんは外国人(現地の人)と思って接している」という話を聞きました。

当時は釈然としなかったのを覚えています。

一般論としての話とはいえ、自分は日本人だと認識していたからです。

でも、帰国してから、その意味が理解できるようになりました。

海外で暮らしているうちに、生活習慣だけでなく、考え方や価値観が少しずつ変わっていきます。

個人差はあっても、自覚がなくても、確実に変わっていくのです。

クライアントさんは海外で暮らす日本人に対して、現地で順応した「変化」を敏感に感じ取られていたのだと思います。

それは日本人というより、むしろ外国人(現地の人)に近いという印象だったからこその考えだったのでしょう。

「進化した自分」を受け入れ、自分らしく生きる

日本人でもイタリア人でもない、自分は何者なんだろうという自問自答する日々でした。

本帰国した後にイタリアに遊びに行った時、「私はイタリアではずっと外国人で、日本にいても外国人になった気分。どこにいっても外国人みたい。」と話したことがあります。

イタリア人の友人も当時フランスを行き来していたようで、「わかる!」と共感してくれたことを覚えています。

きっと帰国子女や海外移住して帰国した人が多かれ少なかれぶつかる壁なのだと思います。

これが「逆カルチャーショック」なら、時間をかけて海外の生活に順応したように、時間をかけて日本の生活に適応していくしかないと思いました。

「日本に戻る」というよりも「日本に移住する」と考えた方がしっくりくるかもしれません。

日本のルールに従わなければいけないことが窮屈に感じることもあるけれど、「イタリアに順応した自分」を全て否定する必要もなく、まずは「進化した自分」のアイデンティティを認めて受け入れることからスタート。

「進化した自分」にとって心地よい居場所を見つけたり、「進化した自分」を受け入れてくれる友達に出会ったりして、新しい扉を開けて、自分らしく生きていく術を身につけたいと思います。

どこに住んでも変わらないこともあれば、環境によって変わっていくこともある。

日本で過ごす時間と共に、またさらに進化していくだろうから。